考えがまとまった、という訳じゃないけど、他の人の意見も聞いてみたいので、書いてみます。

 前に、「図書館の職員数が増えないのは、ボランティアがたくさんいるからじゃない?」みたいなことを言われたことがあった。
 これって、ボランティアをしてくれる人にすっごく失礼じゃないか!? しかも、その時ボランティアの人がそばにいたんだよ!!
 「じゃああまり頑張らなくていいのかしら?」ってその人は笑って言ってくれたけど、相当悲しかったと思う。

 もともとボランティアっていうのは、先駆けるという意味により、自発的に何かをする人のことだと思う。最近の例を取ると、災害や事故を見て、自分にも何か手伝うことができないか、という気持ちになって、動く。そういうことが本義だと思う。

 本当は、ボランティアグループでない者が、ボランティア募集、なんてしない方がいいのかもしれない。
 イベント主催者や官公庁(もちろん図書館含む)は、仕事をこなすのに万端な状態を、始めからきちんと確保しなくちゃならないはずなのに、募集するなんて、「資金足りません」「人材足りません」って言ってるようなもの。
 じゃあ市民から集まった協賛金や、税金はどこに使われてるの? とナギは不審に思ってしまう。

 長野五輪や、来年夏に秋田で行われる「ワールドゲームズ世界選手権」も、ボランティアの力が必要不可欠、って言われてる。ナホトカ号の重油くみ取りボランティアも。
 でも「正スタッフの十分な確保」って、本当は行政や主催者側がいの一番にやるべきことじゃあないのかなぁ? そのために税金やら何やら持って行ってるんでしょ?
 まあ五輪もワールドゲームズもナホトカ号も、深く調査した訳じゃないから、見えないところにどういう事情があったのかはわかんないよ? これっぽちのお金でどうやって五輪開けってかー!? って、毎日五輪正スタッフは泣いていたかもしれないし……。

 でも、ボランティア、という言葉だけが先に行ってしまって、する側よりも受ける側の態度(みたいなもの)が、ボランティアされて当然、っていう風になってしまっていないかなぁと思うのだ。

 だから、今図書館で読み聞かせや書架整理をしてくれてるボランティアも、最終的には「少しずついなくなる」のが正解かもしれず。

 でも社会教育や生涯学習の観点からして、必ずしも施設の自立応援(余り言葉良くないな)の為にボランティアする、というのは無く、むしろ自分の趣味を活かすためのボランティア(自分の子どもに読み聞かせしていたけど、子どもが大きくなってしまって聞いてくれなくなったから、とか(笑))、というのが好ましく望ましい、というような感じになってきてますけどね。ぼくも、そういうのなら大歓迎。

 ああ、長い。長い上に意味不明。
 まだきちんと考えがまとまったわけじゃないから、おかしいとこだらけです。考え方自体、おかしいかもしれない。
 でもまあ、ボランティア担当になってから、常々思っていたことなので。

…担当業務多いよ…十分なスタッフをくれよ、市長〜〜!(笑)

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